| 仲間と「はとバス」に乗った。
東京下町めぐりも良かったが、何よりバスガイドさんが素晴しかった。同行の一人が「ゼヒうちの孫の嫁に」と言う位だから、器量・愛嬌の程がわかろうというもの。
どうも話が爺むさい。更に上田に親戚があり市役所にA叔父がいると聞き、色めき立った。美男で優秀なAさんの血縁なら、
彼女が才色兼備は当然ということで落着したが、Aさんとは年齢性別も、生活環境も全く違う筈なのに態度やしぐさが両者とてもよく似ている。DNAをまざまざ実感させられた。
さて家に帰ると『渓仙画集』が贈られていた。日本画家渓仙は名前を知る程度で、どんな生涯でどんな画家なのかマボロシの画家の画集だ。後日出版元の上塩尻馬場慶一さん宅で、遺品の貴重資料、作品を拝見した。明治32年16歳の馬場少年が何故辺鄙な村から花の東京へ、を知りたかったがその辺は全くわからなかった。
明治30、40年代日本美術協会、絵画共進会、日本画会等で褒状数回、大正13年まで大活躍している。
ひるがえって21世紀の今、日本デザイン界で八面六臂の大活躍中馬場雄二東北芸術工科大教授の大叔父が渓仙であることがわかった。
渓仙のDNAが確実に教授に受け継がれている、と思った。
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