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| 2009年8月1日号 |
| 1 よみがえれ、ふるさとよ@ |
石をもて追はるるごとく/ふるさとを出でしかなしみ/消ゆる時なし……誰もがご存じの啄木(たくぼく)の短歌のひとつですが、昨今の世の不況に当面して、猫も杓子もという形で「この不況は並の不景気とは違って、百年に一遍(いっぺん)の深刻な様相を呈しているのだ」などと説教されたりしますと、今年93歳のジイサンなりに「なるほど」と頷(うなず)かずにはいられません。こんな啄木の一首につづいて、病(やまい)のごと/思郷(しきゃう)のこころ湧(わ)く日なり/目にあをぞらの煙かなしも……などと深い悲しみを忘れることのなかった日々を思い出すと、あの鈍牛の如く倦くこともなしにわが身の悲しみを反芻(はんすう)しないではいられません。
じっさい、このトシになって、わがふるさとの人心の荒(すさ)ぶりざまや、街並の落魄(らくはく)ぶりを実感させられ、右肩下がりの明日の予測に心を痛めさせられがちな日々を見つめておりますと、思わずも危険信号をかかげ、「ちょっと待て」と停止を命じた上で胸に手を当てて、考えてみることをすすめないではいられません。
たしかに、自分自身をもふくめて、「大きいことは良いことだ」とばかりに、消費社会の掛け声に捲(ま)き込まれ、「速いことはステキだ」とばかりにスピード社会の律動に乗せられてきました。けれども今しも私たちを包囲している気流は、その大きさや速さの実体をたしかめ、人間を奈落(ならく)の底へと陥れる危機の切迫を自覚するよう告げているのではないでしょうか。 |
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| 2009年8月8日号 |
| 2 よみがえれ、ふるさとよA |
やはらかに柳あをめる/北上の岸辺目に見ゆ/泣けとごとくに……と、
これも啄木の短歌のひとつで、私のいちばん好きな作品なのです。たしか、大学を卒業して24歳のころでしたが、この北上川の岸辺に沿った盛岡予備士官学校の練兵場(れんぺいじょう)で、約半年の訓練を受けたことがあります。
かにかくに渋民村(しぶたみむら)は恋しかり/おもひでの山/おもひでの川……と、啄木自身が歌っているように、あの岩手山の山裾にひろがる雄大な火山地帯の巨(おお)きさは、私たち青年の心を伸びやかに育ててくれるばかりで、「軍人」としてよりは「詩人」として育くまれるかのような青春の日々を恵まれたような気がします。後年、ふるさとへの生還が叶えられた時、あの東北の雄大な景観に勝るとも劣らぬ浅間の山裾の巨きさは、こんなにも素晴らしいものであったかと、感動を新たにしたものです。
まぎれもなく、佐久平から上小盆地へと展開する浅間高原の伸びやかさは、その山襞の隅々(すみずみ)まで人間生活の刻苦(こっく)が刻みつけられた営みがあり、あのブリューゲル派の画家たちの賛歌にも似た地形がうねる「ふるさと」です。
このふるさとが昭和初年、あの1929年の大恐慌に見舞われたわけですが、以来、百年に近く、今や93歳を迎えることのできた私が、「右肩下り」の行き詰まりをみつめないではいられないとは、どういうことなのでしょうか。その根拠を明らかにしないではいられない思いが疼(うず)くのです。 |
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| 2009年8月22日号 |
| 3 よみがえれ、ふるさとよB |
ふるさとの山に向(むか)ひて言ふことなし/ふるさとの山はありがたきかな…… 汽車の窓/はるかに北にふるさとの山見え来れば/襟(えり)を正(ただ)すも……と、この二首いずれも有名な啄木の作品で、誰もがご存じの歌です。
これらの歌を繰り返し心に刻んでいると、誰しもが「ふるさと」に対して抱く畏敬(いけい)の念がみごとに表明されているのではないでしょうか。私のように「石をもて追はるるごとく」ふるさとを離れた者にしても、ふるさとでありさえすれば、ただなつかしく、恋しく、畏敬の対象なのでした。
けれども、あの第二次世界大戦は、そんなふるさとに大きな打撃を与えたのでした。占領軍当局は、日本人のふるさと意識に変革を加えるための「農地解放政策」を進めるに当たって、日本人における小商品生産者意識を促進することに努めました。信州の農家を養蚕的農家からリンゴとコメの生産者に変える。そして、小金持意識に富んだ金利生活者集団たる村造りが進みました。
知らず知らずのうちに農民たちの意識は、土地という財産持ちで、割りの良い農産物生産者へと変革されてゆくばかりでした。かつて、ジィジやバァバの皺(しわ)だらけの掌(て)から幾何(いくばく)かの小遣(こづか)いを受けとることのできた祖父母と孫の関係の温もりは消え去り、ドライにウン万円のゲームやケイタイなどにうつつをぬかす孫どもの出現に、ただびっくりする高齢者時代が出現したようです! |
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| 2009年8月29日号 |
| 4 よみがえれ、ふるさとよC |
もともとジィジやバァバといえば、その生涯の旺(さか)んな時期に汗水(あせみず)流して働いたその人なりの収入を貯金として、晩年の暮らしに具えてきたものです。その生活設計を守りぬくためには、元金(もとで)は減らすことなく、僅(わず)かな利子に注目するのが老人たちの知恵でもあり楽しみでもあったに違いありません。大方の老人たちにとっては、そんな知恵の果実をへそくりとして孫たちに頒(わ)け与えることが、一家の柱(はしら)としての悦びでありました。
社会の安定と言えば、そうした柱が実在し、孫子の成長の節目節目(ふしめふしめ)には入学祝だの進学金だのが与えられ、桃の節句や端午(たんご)の節句などには、市場も活気を呈しました。けれども、そういう祖父母や孫との関係も次第にやせ細り、気がついてみれば、一家の働き手たちは現役の若い両親ばかり。その両親から見れば、祖父母も子供も「扶養家族」となっているのでした。家庭は夫妻の共働きという形が原則となり、活力ある老人も、子供たちも、アルバイト市場に進出し、いつしか派遣社員や日雇いなどが労働の主力となるのでした。
家々ではテレビもクルマも複数となり、家族と言えば「同居家族」として同じ屋根の下で暮らす他人となり、互いにケイタイで連絡したり語り合う例も少なくはありません。……が、そうした家族の崩壊(ほうかい)こそが、他ならぬアメリカ流の家庭の在り方として、私たちは夢中で、そんな新風を築いてきたのでした。 |
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| 2009年9月5日号 |
| 5 よみがえれ、ふるさとよD |
かえりみれば、戦後の約25年ほどは、あの農地改革という大変革を土台として、いわゆる小金持意識につらぬかれた新風に順応することが、大方の消費生活のテンポだったと言えましょうか。そんな私たちが、思いもかけぬ強烈なパンチを喰(く)らったのが、あの石油ショックというパンチであり、やがてジワリジワリと身にこたえてくるボディブロウのように、何時(いつ)果てるともない長期のバブル崩壊の継続なのでありました。
こうして80年代の終りには、「資本主義国家対社会主義国家」という世界的な「冷(つめ)たい戦争」の終結を眼(ま)のあたりにするような、《ベルリンの壁の崩壊》や《ソビエト連邦の瓦解》などの大変革を体験することによって、世界は21世紀の訪れにこそ希望を托するひとときを迎えたはずでした。
けれども、20世紀末において、どうやら資本主義的な原理に軍配を上げて、グローバリゼーションだの新自由主義だのと一しゅんの凱歌に酔い痴(し)れた人びとの浅い夢を揺り醒(さ)ますかのような大恐慌の訪れ! 加えて計り知れない地球規模の自然の破滅現象の危機!
こうして、私たちがふるさとの山河を見る眼にしても、その根源から洗い直し、研(と)ぎ澄まして、山に、河に、正対すべき時を迎えつつあると思うのです。わが国民的詩人石川啄木が、ふるさとの自然に托した深い思いに劣らぬ詩人の心に立ち還って、自然をかえりみるべき時の訪れです。 |
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