2010年8月7日号
51 世界が求める 日本のルネサンス@
 第一に、近年の日本が示しているように、年間三万人余の自殺者を十年以上に亘(わた)って生じているという現象は、まぎれもなく現代の世相の底に真の「ふるさと」を求める喘ぎが渦巻いていることを物語っているに違いありません。まぎれもなく「安らぎの里」としての奥行きの深さをととのえ、多くの人びとに「生命力」の復活への活力を自覚させる町づくりこそが、歴史的にも、立地条件からも、わが上小盆地に与えられた使命なのかも知れません。

 第二に、「吾妻(あずま)はやとし日本武(やまとたけ)/嘆き給いし碓氷山(うすいやま)/穿(うが)つ隧道(トンネル)二十六/夢にもこゆる汽車の道……」と歌われる信州への導入路こそは、わがふるさとへの願ってもない辿り道でしょう。この世界に稀なる登山鉄道を活用して、荒れ放題に踏みにじられた「軽井沢」という世界に冠たる落葉松林を明るい芸術・文化の里として復活するエネルギーを世界に示すべき時が今こそ訪れたようです。

 そして「生命力」の地底からのよみがえりを示す浅間山と、それに対峙する蓼科・八ヶ岳の世にもみずみずしい開豁さとは、高原美の極致をよみがえらせてくれます。

 そして、こうした愛の物語にあふれる真んまん中をつらぬいて、千曲川のせせらぎが、私たちが見失ってきた「川遊びのふるさと」をたっぷりとよみがえらせて、上小盆地のロマンを、一気にくり広げてくれるのです。そここそが、現代世界随一のふるさとです!
 
2010年8月21日号
52 世界が求める 日本のルネサンスA
 ともすると、アメリカ風の巨大テーマパークが、中国やインドまでに裾野を広げようとしているのです。そんな人工的自然の濫開発(らんかいはつ)こそが人びとの心に荒廃と絶望の種子を蒔いていることに、各国はようやく気づき始めたようです。

 もしも自然の復活そのものを「遊び」の復活として考えるならば、曽(かつ)てこの上小盆地が蚕の里として栄えた歴史こそ、新しい産業のルネサンスとして注目を浴びるに違いありません。

 今やDNAレベルの研究が最も進んだ蚕を実験台として、化学染料に頼ることない「七色のマユ」を自然の産物として産みだすべき時代がやって来つつあるのです。かつて東洋一の蚕種の生産を誇った上田市周辺の文化が、どんなに奥行きの深い産業社会を築いたことか!そんな歴史が、この地方の「蚕都の歴史」として、家造りにも、織物にも、食文化の向上にも、深い歴史をありありと残しているではありませんか。そんな伝統を辿って見れば、ありありと「失業のない社会」とか「格差を克服する社会」とか、総じてポスト近代化の壁を突き破るべき新社会への明り窓が見えてくるに違いありません。

 今や百年単位の恐慌の循環に取り憑かれたわが「ふるさと」の町々が、真に「元気を回復する」道をさぐるとすれば、この点での『千曲川』の復活が指し示す道すじを、ゆっくりと、考えながら、辿る以外にないと言わねばなりません。
 
2010年8月28日号
53 世界が求める 日本のルネサンスB
 と、そこまで記した私の筆を、そこでストップさせたまま、凡そひと月ほどが過ぎ去りました。この日々は、今やこの世に生をうけてからの95年目の毎日を積み重ねている私にとって、初めての体験とも申すべき猛暑の刻一刻と成ったではありませんか。生来、真夏の暑さは、大好きな季節であったはずです。幼き日から盛夏ともなれば「わがふるさと」は、それこそ「遊びの季節」として、どんな断片をとりあげてみても溌剌(はつらつ)とした輝きにみちあふれ、至福の歓びを心に刻みつけてくれるはずでした。

 けれども、今年の猛暑ばかりには参りました。すべての行動力を喪失して、ぐったりとアイス・ピロウを取っ替え引っ替えしながら、いよいよその時が訪れたかとばかり、身を横たえて過ごしていました。それに加えてあの選挙さわぎです!

 もともとわが親愛なるふるさと人が、選挙という最高の政治的行動に伴う美学をかなぐり捨てて、「勝った」の「敗けた」のの数字的対決ばかりに心を奪い去られるようになってから、どんなに久しいか。その虚しさから立ち直ること無しには、私の「ふるさと論」の如きは一文のトクにもならぬ空論に過ぎぬではないか!……そう思ってかえりみると、もはや沈黙こそが金であり、絶望こそがムチであろうか、と、心が萎えるばかりでありました。そんな私を叱咤するかのように、長年の友人から大きな励ましが届きました。
 
2010年9月4日号
54 世界が求める 日本のルネサンスC
 もしかすると朝日新聞のような全国紙に、眼にも鮮やかな全面広告という大デモンストレーションが載ったことを心に留めた方もおられたはずです。珍しくも単なる宣伝文ではなく、型通りの「意見広告」とも異なり、片や『北の国から』でおなじみの倉本聰さんが、「怒りって、深くなると悲しみに通じてくるんだよな」と、和やかに語り、その首っ玉に両腕を巻きつけた歌手の長渕剛(ながぶちつよし)さんが「その悲しみが、たまらなくわかるから、俺は先生と組んだんだ」と、笑いかけている。そんなコンビネーションが実に好ましい映像となって、8月14日のTBS系終戦ドラマスペシャルが予告されているのでした。そのドラマ《歸國(きこく)》については、早々と注目していた私は、本紙でもいち早く紹介しました。

 ひと口で言えば、毎年八・一五が巡りくるたびに各メディアは、この国の敗戦を回顧することを怠りはしません。今年もかの学徒出陣で一気に何十万もの若者たちが学業を打ち切られて出征しての挙句(あげく)、虚しく還らぬ人となったいきさつを、多くのメディアが取り上げたものです。その中でもこの《歸國》こそは、出色の力作でありました。

 けれども倉本さんの作品には、前掲のユニークなコトバが示すように、今や敗戦65年を経た祖国の現状を見つめて、あの若者たちがいのちを捧げた熱い希いは報いられているのだろうか?……そんな問い詰めが疼いている《歸國》なのです。
 
2010年9月11日号
55 世界が求める 日本のルネサンスD
 今や祖国の明日について、こんな有様のままで良いものか、どうか、と、問い詰める真剣さが求められているのではないでしょうか。

 その意味で私たちは、あの数知れない若いいのちとの共闘を考えないではいられない現状を迎えているのだとも言えそうです。考えようによっては、わが祖国がツブれるかどうかの危機を迎えている現状に対して、いちばん巨きな発言力をもっているのが「死者たち」だとも言えましょう。彼らの衷心(ちゅうしん)からの祖国愛が今こそよみがえるか、どうか。それを受け留めるべき魂が復活するかどうか……それをこそかえりみるべき時が訪れており、その真剣さを抜きにして、わがふるさとに、ホンモノの元気はよみがえるまい、と、私のようなジイサンは考え込んでいる昨今です。

 いみじくも、倉本聰×長渕剛のドラマ《歸國》のエンディングテーマを歌い上げる曲名こそは、《愛していると伝えて下さい》と奏でられているではありませんか。祖国のためにいのちを捧げた魂たちが、どんなに真剣に私たちの行くてを見つめているか、せめてもの事に《歸國》というドラマに刻みつけられた「愛のコトバ」の奥深さを、皆さんと共に受け留めてみたくて、来年7月の初頭には、このふるさと上田でも上演を実現できるように、いささか黒子の役目も務めておいたつもりです。その日まで、私の蚕都上田への祈りを捧げつづけたい、と、思っているのです。 (終り)
 
 
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