2006年9月9日号
46  黒 姫 @
 昔、鴨が岳と箱山峠の裾野に、のどかな中野の里があった。
 その里には小館城という小さな城があり、館には、黒姫という名のそれは美しい姫が暮していたそうな。
 黒姫の父は城主で、高梨摂津守政盛といった。
 ある年の春のこと。政盛は黒姫をつれて、箱山峠のふもとにある東山へ花見に行ったと。
 満開の桜の向こうには、まだ、雪を残した五岳の山脈が空にくっきりと浮かんでいるように見えた。
「穏やかないい景色だのう」
とつぶやき、ふっと桜の木の根元を見ると、一匹の小さな蛇が黒姫に近づいてきたではないか。そして、蛇は優しいかわいらしい目で、じっと黒姫を見ていて動こうともしない。
「姫の盃がほしいのではないかな」
政盛がいうと、そばにいた家来衆も
「さよう、さよう、ささ、姫さまどうぞ」
と盃を渡してくれたので、黒姫は蛇に盃をさし出した。すると蛇は、あっというまに酒をのみほし、草むらに消えていった。
 東山の花見からいく日かたったある日、きりっとした身なりの若侍が城にやってきて、政盛に礼儀正しく挨拶をした。
「本日おじゃましたのは、ほかでもありません、黒姫さまを私の妻にいただきとうございます」
「な、なんと。で、おぬしの姓名は?」
「私は志賀山の大沼池に住む竜でございます。このあいだの桜の宴の折、姫さまから盃を頂戴して以来、姫さまのことが忘れられなくなりました」
「あの時の蛇が……」
政盛は息をのんで若侍を見つめたが、すぐさま気を取り直し
「姫はやれぬ」
と、強い調子で、若侍の願いをそくざにことわった。
 
2006年9月16日号
47  黒 姫 A
 しかし、若侍はあきらめずに、同じ願いをもって城をおとずれた。
 そのうち、姫の部屋にもあらわれるようになると、黒姫も気品ある若侍に心をうばわれていった。
 そんな姫のようすを見ると、なんとしても大沼の主に姫はやれぬと、警護の者をふやし、城のまわりを固めさせた。
 だが、若侍はいつの間にか城に入り
「どうか、この願いをかなえてくだされ」
と、熱心に頼むのであった。
 ほとほとこまった政盛は、一計を案じた。
「明日、わしは馬で城の回りを21回まわるので、わしのあとについてまわれたら黒姫をさしあげようぞ」
「きっとですな」
若侍は目を輝かせていった。
「武士に二言はござらぬ」
政盛のことばに若侍はいさんで帰っていった。
 次の日、馬術の名手といわれる政盛は名馬にムチを当てると、馬はものすごい早さで駆け出した。たちまち、5周、10周と回るではないか。若侍は額の汗を飛ばしながら走った。だが、とても馬にかなうわけがない。若侍は疲れきって、今にも倒れそうだ。着物はぼろぼろにちぎれ、手も足も血だらけである。それもそのはず、城の回りには刀を逆さ植にしてあったのだ。
 それでも若侍は21回を回りきった。
「やっと……まわった。約束をはたしてくだされ」
と、あえぎながらいったが、
「やはりだめだ、姫はやれぬ。己のみにくい姿を見よ」
と政盛は馬上からどなった。そのことばを聞いたとたん、若侍は竜の姿となり、くちから火のような血をはき出し、大空に飛び去った。
 と、今まで晴れていた空が、急にかき曇り、激しい雷雨となった。それが3日3晩続き、箱山は崩落し、夜間瀬川を堰き止め、一気に土砂を押し出した。
 
2006年9月23日号
48  黒 姫 B
 黒姫はいった。
「父上、どうして、あの方との約束をお破りになられたのですか。きちんと礼をつくしてくださったのに」と、激しくせめたてたが、政盛は受けつけなかった。
 嵐はますます強くなるばかりであった。洪水は、遠く高社山の裾を洗い、なだらかに連なる中野の里を襲った。みるみるうちに濁流が田畑を呑み込み、家々までもが流されていった。
 黒姫はこのあり様を見て、荒れ狂う空に向って、護身の鏡を投げ上げ、こう叫んだ。
「竜よ。私の願いを聞いて、どうか、この嵐をしずめてくだされ」
 すると、にわかに、黒雲の一角が切れ、ぽーっと明るくなるではないか。その光を浴びて竜が舞いおり、
そして姫を背に乗せると、また、高く舞い上った。
「黒姫さまぁ」
と、侍女達の呼ぶ声が下の方で聞こえた。
 雲の切れ間から見える中野の里は見るも無残であった。水に浸った田畑、家は流されたり、土砂で潰れ、
人影は見当りもしなかった。
「な、なんというあり様でしょう」
黒姫の声はふるえていた。
 竜も大きな目に涙をため
「許してください。あの日姫に出会いさえしなければ…」
「いいえ、あなたの罪ではありません。私さえいなかったら、こんなことにはならなかったでしょう」
「やはり姫は心も美しいのですね」
竜はそういうと五岳の一つの峰に黒姫を下ろした。その瞬間、竜はりりしい若侍の姿に変り、二人は長くこの地で幸せに暮したそうな。
 それから誰いうともなく、この山を黒姫と呼ぶようになったと。
 また、一説には、姫は黒姫山の主になり、竜は志賀高原の大沼を護ったともいわれている。
 
2006年9月30日号
49  黒 姫 おはなしの解説@
 表題のお話は異類婚姻譚に属する。
 他で有名なものは「望月の駒」である。このお話は望月に御牧があった頃、館の姫と同じ日に生れた駒が姫に恋をするが、父親の策略により悲恋に終るのである。が、本稿の方は、やはり父親の悪策である、逆さ植の刀の刃で身を傷つけられようとも若侍(大蛇「竜」の化身)は姫を得て、二人は幸せに暮したという。
 でもねぇ。二人の幸せ感が、いまひとつ伝わってこないの。それは多分、若侍に化身しようとも異類婚が許されざるべき事、という倫理観が先行するからかもしれない。
 古代韓国語の蛇(サ)=鉄(サ)の認識は本欄で何度も登場した。今回の場合も前出と同じであろうと推測している。
 さて、このお話の時代設定は戦国時代である。それは、唯一実在した高梨政盛の名が出てくるからである。まず、高梨姓の語源に迫ってみた。驚いた。その意味は「高句麗の鉄生み」と読めるではないか。高梨氏の始まりは、製鉄あるいは鍛冶と深い関わりがあったのだろうか。
 それにしても姫の名は、なぜ黒姫というのか? 中野市に行けば黒姫さんの実態がわかるかも、と密かな期待を抱いて出掛けた。黒姫が暮していたかもしれない現在の高梨氏城館跡に立った。雄大な土塁と空堀が保存され、目前には鴨ヶ岳が聳える。黒姫もこの風景を見ていたのだろう。
 城館跡の近くは諏訪町があり、そこには、諏訪神を祀る王日神社があった。また諏訪上社に深い関わりのある南宮社が現存する。
 黒姫の「黒」の意味を探し求める旅はまだ続く。
 鉄には、青・赤・黒の三色があるそうな。青は、良質な砂鉄、つまり真砂(まさ)のこと、赤は酸化の進んだ砂鉄で、赤目(あこめ)と呼ばれる。
 
2006年10月7日号
50  黒 姫 おはなしの解説A
 黒は餅鉄(もちてつ・磁鉄鉱)のことで、形状は塊になっている。餅鉄で有名なのは岩手県の甲子川やその支流の鵜住(うすまい)川である(現在、餅鉄を拾うのは困難である)。
 最近、地質研究者の横山裕さんが釜石市で拾ったものだと、餅鉄を持ってきてくださった。ご子息の歩太さんから手渡されて持った。その重いこと。「やっぱり鉄だ」と叫んでしまった。底辺17p、高さ20pの円錐形で、色は暗褐色で磁石がぴったりとくっつく。目方を量ったら、なんと10sもあった。
 中野市では餅鉄の産はないが、虚空蔵山のロームでは磁鉄鉱が最も多いという分析結果があり、その土は餅鉄と同じ暗褐色である。
 中野市は以前から歴史的に深い地域だと認識していた。
 歴史的順序は不同だが、古代末期に設けられた勅使牧が2つ(中野牧・笠原牧)もあったし、朝鮮半島特有の積石塚が14基(土石混合墳も含む)もある。割竹形木棺(太い丸太を縦に割り、中味を刳り抜き身と蓋にしたもの)墓に至っては長野県で想定された5件の内2件も占める。この木棺の出土の地はかつての鉄処であったと李寧熙先生はいう。安源寺遺跡の弥生後期の住居址内からは、がぜん、鉄器の出現量がふえているので、なるほどと、李先生の説に納得するのである。
 古代末期になると安源寺遺跡で、鉄片の付着した金床石やフイゴの羽口も出土している。
 また、朝鮮土器と呼ばれる硬質で鉄地色の土器である須恵器窯が多数発掘されている。良質の粘土が採れ燃焼熱が高まる薪も手近で入手できたり、さまざまな立地条件が整っていたのであろう。『和鉄の文化』の著者は「陶鉄同源」を提起されている。この地でこそその言葉は証明されるのである。
 
2006年10月14日号
51  黒 姫 おはなしの解説B
 李寧熙後援会の会報が届いた。この冊子は日本の古代の真実の姿を学ぶ上で、実に示唆に富んで魅力的な内容が詰まっている。
 文月号で、はっ、と気づかされる記述があった。
 韓国語のガマ(釜)と日本語のかま・がま(釜)は同音同義語で、しかもガマには「黒(黒い)」の意もあるという。
 黒姫=製鉄炉(鍛冶炉)・須恵器窯かと推理してみる。
「鉄」の研究者の間では、製鉄炉は女体ともみなされている。鉄を生む、生命を生む、熱く激しい生命体なのである。また、炉にはホト穴(熔鉄の状態を見る)という女性の性器名と同じ名が付いている。
 さて、高梨氏は一説によると、奥羽から小布施に移住して、小布施氏となったそうである。
「布施」は「鉄焼き」と筆者は訓んでいる。こうした固有名詞の発生の元には、製鉄(鍛冶)との関わりがあると推測する。
 ついでに、中野市の「鉄」と関わりがあると見られる地名を上げてみよう。
 まず、更科・科野・夜間瀬川・草間・七瀬・間長瀬・菅峠・裾無瀬(すそなせ)川等である。 地名を名付けた古代の人々の深い思いに触れた中野市への小さな旅であった。
 表題の黒姫と竜(蛇)が幸せに暮したという黒姫山に登った。
「黒姫山に登りたい」と友人の臼井千鶴子さんにおねだりをしておいたところ、実に緻密な登山計画を立ててくださった。
 6月18日、信越線黒姫駅に降り立った。
 古池までは楽しく歩けた。その古池の周りは湿原で、土は赤褐色をしている。池から流れ出る川の小石は磁気を帯びていた。地面に突き出た木の枝の先には、白い泡がいっぱいで、枝がたわんでいる。春に美声を発するモリアオガエルの卵であった。
 
2006年10月21日号
52  黒 姫 おはなしの解説C
 やがて、胸突き八丁、急坂の連続である。土地の人はネマガリダケを採り、重いリュックを背負ってもなお足取り軽く下ってくる。「行きはヘリコプターでしたか?」などと、思わず愚問を発してしまった。
 この山行での千鶴子さんの穏やかな叱責と激励は忘れられない。へたばって地に腰を下ろすと、素早く氷砂糖を勧めてくださる。少したったら塩味のクッキー。汗で失った塩分の補給だ。その次にはオレンジ、ビタミンCの補給である。日本の名山やアジア、アフリカ大陸の山々の長い登山歴から来る智恵と、情の深い人柄がそうするのである。
 やっとの思いで山頂に着くと、千鶴子さんの声がする。
「芙蓉湖(野尻湖)が見えますよ。上から見てこそ芙蓉湖だと実感するの」
 生気を取り戻し、芙蓉湖を一見と思ったが湖はすでに霧の中であった。黒姫もこの地で幸せに暮したかはやはり霧の彼方で、はっきりとした答えは得難かった。
 ところが、志賀高原の大沼で一大発見をした。8月26日、その日は奇しくも大蛇祭の入魂祭日で人々は皆水神様に心を寄せていた。だが、根上りのコメツガの大木の下の祠に、大沼龍神と大沼黒姫が祀られているではないか。本来なら、この二神こそが祭の主役である。
 実は、黒姫夫婦は大沼の池で幸せに暮したんだと。と、結びたくなる発見であった。
『小室節略記』の村杉弘先生はこの発見を一緒に喜んで下さった。実は、大木に神が宿ると考えるのは日本特有なことではなく、モンゴルや韓国にもある習俗であるという。小諸市下笹沢にも大沼とよく似た「杢の神」があるのを思い出した。
 山ノ内町には鉄と関わりがあるとみられる百々(どうどう)・佐野の地名もある。いずれにしても歴史の深い町である。
 
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