2006年4月8日号
25  霜 月 祭 @
 民俗学の祖、折口信夫も足しげく通ったという南信州の「『遠山郷の霜月祭』に行って見まいか」と、長年思い続けていた。
 うわさに聞く神事のいくつかを拾ってみると、「鉄」に関わりがありそうである。研究者によれば、あれは太陽信仰で太陽の復活や生命の復活を願う祭だ。なんでかというと冬至点の月に行われるからだそうだ。
 なるほど、昼間の時間が一番短い季節はなんとなく心細い、「春よこい、早くこい」と歌う心情と同じである。では、なんで、「霜月祭」というのかしらん。その辺りの説明はない。でも「復活」という言葉はとっても気に入った。
 霜月祭を鉄祭と推理するには材料が少なすぎる。足を踏みはずさないためにもとにかく行って見まいかと昨年12月11日実行した。
 中央自動車道の松川インターで下り喬木村を経由して、10月に合併し今は飯田市上町の正八幡社に着いた。そこが11日昼から翌朝の8時頃まで行われる霜月祭の舞台なのである。神社は花こう岩の点在する上村川と谷川の清流の合流点にある。上村川もそのうち遠山川と名を変え天龍川に注ぐ。
 天に目を移せば、空の細いこと。もっとも、山と山が迫った谷合いの地区なのだからであるが。みごとに輝く星たちもその狭さ故、たちまち姿を消してしまう。
 さて、祭はすでに始まっていた。羽織袴姿の氏子が「煙(けむ)い・寒い・眠い」の祭だと教えてくださった。
「煙い」は祭殿に昇りわかった。二基の連立したかまどに薪が燃え、かまどにかかった2つの釜の湯はふきこぼれんばかりに煮立っていた。氏子が薪をくべたとたん煙が出て、その煙たさといったらない。目を激しくしばたたきながら、炎の吹き出るかまどを見て驚いた。粘土で出来ているかまどは女性の体の感があった。
 
2006年4月15日号
26  霜 月 祭 A
 以前、たたらの復元の映像(日刀保)を見たことがあった。素足で粘土を踏み固め長方形の舟型炉を丁寧に築き、3日3晩不眠不休の作業が続く。炉の火処に砂鉄と木炭を投入する回数は千回にもなるそうである。
 更に番子が代るがわる風を送入する。4日目の朝、まだ燃えている塊が出現した。これを「ケラ」と称するそうで、火入から、出し、までの一工程を「一代(ひとよ)」と呼ぶそうである。
 たたらを彷ふつとさせる霜月祭のかまどと山吹色の火に感動した。早速『信濃の鉄』の著者・今井泰男先生に報告をした。
「先生! 連立炉の継ぎ目ときたら女陰の形そっくりで、そこから真っ赤な火が吹き出しているんです」
「炉は女性自身です」
 決して卑わいな話をしているのではなく、山吹色の炎を吹くかまどを崇高な生命体としてとらえているのである。
 霜月祭のかまど=生命体(生命のよみがえり)の相関が成り立つかのように、すべての神事、神楽から直会(なおらえ)までがかまどの前や周りで行われる。しばしの仮眠をとると午前3時を回っていた。眠いけれど、目につっかえ棒をしてでも起きていなくてはね。いよいよ祭のハイライト、「面」の登場である。日月を表す神太夫夫妻がお伊勢参りに行く筋書で、里神楽のおかめひょっとこを思い出す。次に八社の神々が舞う。そして全身真っ赤な装束の狐面が道化よろしく舞った。いよいよ天狗面の水王、土王が現れ、煮えたぎる湯に素手をつっ込み、サッと周囲に湯をかける。この湯は溶かした銅だという研究者がいる。この遠山郷にはかつて小規模であるが、銅山が点在したが上古の銅製品の発見はまだないのである。
 さあ、いよいよ「待ってました!」と声の掛りそうな面の登場である。
 
2006年4月22日号
27  霜 月 祭 B
 でっかいギョロ目と鼻に真っ赤っかの異様な顔の猿田彦神が、錦の狩衣に紅白のだんだら巻きの弓と鏑矢(かぶらや)を持って現れ、かまどの前で、東西南北天地に向って矢を放ち悪鬼外道を追い払う。
 最後の舞は、金山の舞で、4人の祢宜(ねぎ)がやはりかまどのまわりに立ち、刀を抜き飛び上り、湯の上の飾りを切り落す真似をする。
 祭はもう少し続くが、この辺りから見物の人々が帰り始めた。霜月祭の本祭の次第は決して時間通りに進まないそうである。同じ舞を4回も繰り返す。まるで神々が遊びを楽しんでいる風にも見える。
 この祭で高森町の湯沢佐一さん、小川裕道さん、福島憲明さんと夕食や仮眠所をご一緒した。筆者が密かに三人好爺と呼ぶこの方々の話によると、この地区を出て行った人々も霜月祭にはきっと帰ってくるそうである。なるほど、真夜中にはびっくりするほどの若者でごったがえしていた。次代の祭を担う中学生の初々しい舞もあった。今でも意味不明の「ヤンヤーハーハー」(漢字だと弥々栄々だそうだが)唱和の声が耳から離れない。そして、なぜ霜月祭というのか、なぜこうも多くの製鉄神と推察される神々が遊びに来られるのだろうか。一番気になる「霜月」は李寧熙先生がすでに解いておられる。「しも」の音を「シィモ」という古代韓国語に当てる。「シィは鉄のこと」「モは集める、まとめるの意」で霜月とは「鉄集め、鉄まとめ月」の意味だそうである。
 筆者の小さい頃、母は農作業が仕舞いになると丸くなった鍬や草かきの刃の打ち直しを鍛冶屋さんに頼んでいた覚えがあるので李先生の説に深い感銘を受けた。
 霜月祭とは、「使用済みの鉄器を集め打ち直す(生命のよみがえり)」作業を表現したことが根底にあるのではないだろうか。
 
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