週刊うえだ写真コンテスト
第13回は中止とします

作品募集は行いません

 
 
 
 

 毎年秋から写真を募集し、開催してきた「週刊うえだ写真コンテスト」ですが、第13回は諸般の事情により中止とし、作品募集は行いません。
 楽しみにしていた写真愛好者はじめ読者のみなさんに、心よりお詫び申し上げます。

筑波大学菅平高原実験所
「生き物標本展」を初開催
昆虫や植物の標本作りを体験 菅平ナチュラリストの会が協力
 
 

 筑波大学山岳科学センター菅平高原実験所で3日、同所標本庫の所蔵標本を紹介する「菅平生き物標本展」が初開催され、県内外から約200人が参加。昆虫や植物の標本作りのワークショップも人気を集めました。


 標本展は、同実験所敷地内に保存されている国の登録有形文化財「大明神寮」を会場に開催。80年の歴史がある同標本庫の膨大な標本のなかから植物・昆虫標本が紹介され、キノコの乾燥標本も展示しました。


 植物コーナーでは、1910年の最古の標本「アカスグリ」をはじめ、牧野富太郎博士が命名した植物55点も選び出して展示し、スタッフの説明に来場者からは「貴重な標本を目の当たりにできて感激」などの声が(写真上)。このほか、長野県の絶滅危惧種指定の植物標本も写真とともに紹介されました。


 ワークショップも親子連れなどでにぎわい、植物を紙に固定する作業や顕微鏡での微細な昆虫の観察などを子どもたちが体験。同所教員やスタッフがていねいに指導していました。


 同展を担当した技術専門職員の山中史江さんは、「菅平ナチュラリストの会会員が6つの班をつくって全面的に支えてくださいました」「評判も上々で、続けて開催してほしいとの声もいただき、来年以降も検討したい」と話していました。

上田市立西内小学校 約150年の歴史に幕
閉校記念式典で歴史振り返る
金管バンドが卒業生とともに演奏
 
 

 上田市平井の上田市立西内小学校では10月28日、児童18名と保護者、卒業生や学校関係者、地域住民など180名が参加して、閉校記念式典が開かれました。

 同校は明治7年(1874)に開設された学校がルーツで、今年で約150年を迎えました。児童数の減少が著しいことから今年度で閉校し、来年度から丸子中央小学校と統合します。同校は特色ある教育活動として、金管バンドや登り窯を使っての陶芸などに取り組んできました。

 式典で感謝の言葉を述べた塩川和泉学校長は、児童に向け「未来を切り開いていくために、一人ひとりの知恵と粘りと思いやりを磨き、歩みを進めていきましょう」と呼びかけました。

 金管バンドの演奏の後、卒業生も加わって軽快に「宝島」を演奏すると、会場から大きな拍子が。続いて、金管バンドを初めて全国大会に導いた元同校教諭・櫻井睦子さんや下形和彦さんの指揮で「シング・シング・シング」などを披露し、式を盛り上げました。

 金管バンド部長の永井瑛士さん(6年)は、「細部までこだわり練習してきました。閉校は寂しいです」。卒業生の齋藤美夢さん・希光さん・さくらさん姉妹と小平仁海さんは、「貴重な経験をさせてもらいました」「地域のつながり、温かさは変わらないです。西内小のよさが残り続けてほしい」と話していました。

 式の最後に、池内宜訓実行委員長が体育館などの用地交渉で苦労したことを話し、参加者は歴史に思いを馳せていました。
 また校庭では、全員が色とりどりの風船を空に飛ばして閉校を惜しみました。


IT学生エンジニアのピッチコンテスト
技育展全国大会で優勝!
長野大学3年 池野太心さん

開発ソフト「The SHITSUKAN」発展性、応用性のある作品

 

 技育展2023全国大会が先ごろ東京大学で開かれ、長野大学企業情報学部3年の池野太心さん(写真右)が優勝しました。

 学生エンジニアのキャリア支援を行う潟Tポーターズの主催で、エンジニア育成プログラム『技育プロジェクト』の一環として毎年開催。学生エンジニアが自分のアイデアを短時間でプレゼンテーションして競います。リアル開催は4回目となる今回が初めて。全国7ブロックの200チームが参加し、予選を勝ち抜いた60チームが集結し、12チームが決勝に進みました。

 スポンサー企業による審査基準は作品の価値・可能性、完成度、技術レベルなど多岐にわたります。池野さんはメイクアップシミュレーターを用いて「実在の物体の質感を3DCGで精密に再現するソフトウェア」を開発。実物の質感再現に特化したCG技術で、化粧品や医療、自動車部品、美術・博物館など多様な分野での実用化が見込まれ、審査員は「発展性、応用性のある作品」と評価しました。

 所属する田中ゼミ(田中法博教授・写真左)では18年にメイクアップシミュレーターによる研究を開始し、翌年から化粧品会社との共同開発も行っています。

「先輩方が積み上げてきた土台と、田中教授のご指導のおかげ」「今回の評価は将来に向けた大きな一歩」と池野さん。今後は大学発のベンチャーを立ち上げ「産業創出に向け地元企業に働きかけていけたら」とし、「副賞の100万円はその資金にしたい」。

 田中教授は「日本でトップのITエンジニアの卵が本学にいることは実に誇らしい。世界標準となる技術を今後も目指していきたい」と話していました。


全国消防救助技術大会で第1位
上田広域消防本部の佐藤優樹さん
昨年に続き同消防本部が2年連続の快挙!

 
 

 札幌市で8月に開催された第51回全国消防救助技術大会のロープブリッジ渡過種目で、長野県代表の佐藤優樹さん(上田地域広域連合消防本部救助隊・31歳)が15・7秒の好記録で全国1位に輝きました。同種目では昨年の大会でも同消防本部隊員が優勝しており、2年連続の快挙となります。

 同大会は、救助活動に不可欠な体力・精神力・技術力の養成と、模範となる消防救助隊員の育成などを目的に毎年開催。陸上と水上の2部構成で各8種目、計16種目で競われます。

 佐藤さんが出場したロープブリッジ渡過は、水平に張られた20mのロープを、往路はロープ上をセーラー渡過、復路はロープ下をモンキー渡過で競います。実際の救助では、川の両岸や建物間、船と船の間などにロープを張り、中州や建物内などに残された人を救助する際に使われます。

 佐藤さんは同救助隊に入隊してから11年間、毎年11月〜4月の期間に仕事を終えてから訓練を積み、同大会出場を目指してきました。「競技中の雑念は失敗につながる。15秒間の集中のために心を削ってやり切りました」と佐藤さん。「すべての訓練は要救助者のために行うという救助隊員としての姿勢を学びました」。これを機に競技は引退しますが、「これからは後輩に伝統をつないでいかれたら」と話していました。

 同救助隊の大久保篤隊長は、「いろいろなプレッシャーがあるなかで、無事に帰ってきてくれてホッとしています」と労いました。

 なお同大会では、ロープ応用登はん種目で丸子消防署の両角哲郎さんと上田中央消防署の杉浦悠さんが入賞を果たしました。


青木村郷土美術館特別展で初公開
大法寺三重塔本尊の大日如来坐像
11月30日(木)まで

 

 大法寺三重塔国宝指定70周年を記念し、青木村郷土美術館で11月30日(木)まで特別展が開かれています。

 大法寺は、飛鳥時代に藤原鎌足の子、定慧により開山。鎌倉時代に三重塔が建立されました。

 本展では、三重塔第一層に安置されている大日如来坐像(写真)が初公開されています。

 展示は五章に分かれ、第一章から国宝大法寺三重塔の歴史、檜皮葺屋根について、三重塔内部空間の彩色画と相輪・水煙、大日如来像について、大法寺三重塔のある風景(絵画・写真)となっています。

 何百年もの間、三重塔のなかで人びとを見守ってきた大日如来坐像が、初めて塔の外で過ごすのに合わせ、ピアノの音色を響かせるスペシャルな企画が行われます。

「かてぃん」名義でユーチューバーとしても活躍する、人気ピアニスト・角野隼斗さんが、自身のコンサートのために開発した特別仕様のアップライトピアノが、10月24日(火)〜11月9日(木)に同美術館に設置されます。期間中の13・00〜16・00に、ピアノを弾くことができます。申し込みは不要。

 開館時間は9・30〜16・30。料金は一般200円、高大生150円、小中生100円。休みは(月)(祝日の場合は翌日)・?の翌日ほか。

 関連イベントとして、28日(木)は講演会「三重塔のおはなし」、10月18日(水)・11月16日(木)は、住職のガイド付きツアー、10月3日(火)・20日(金)は写経、11月1日(水)は特別コラボレーション(お経とピアノの即興ハーモニー)、11月3日(祝)は童謡コンサートがあります。

▼青木村郷土美術館 TEL0268-49-3838


櫓が写った古写真や絵図・古文書を広く募集
城復元に向け上田市が資料収集事業
懸賞金の総額500万円! 募集は来年3月29日(金)まで

 

 2代目藩主・仙石忠政が再建した上田城の本丸には7つの櫓があったとされますが、現在のお城にあるのは再建当時から残る西櫓と、1994年に復元された東虎口櫓門の南北櫓のみ。

 残りの4つの櫓と櫓門、土塀、武者溜りなどの復元を目指す上田市では今月3日から、その根拠となる明治初期の櫓が写った写真や寸法がわかる絵図・図面などの資料を、懸賞金総額500万円で広く募る事業を始めます。

 上田城は国の史跡であるため、復元などの整備に際しては文化庁の許可が要り、形や大きさの根拠となる古写真や図面が必要です。東虎口櫓門の復元整備では、櫓解体前に写された写真(明治11年撮影か)が根拠となりましたが、残り4つの櫓が写った写真や図面は見つかっていません。

 今回の総額500万円の懸賞金を設けての資料募集は、この4つの櫓に関係する古写真(明治初期)や寸法が書き込まれた絵図・古文書、上田城跡公園内で撮影された写真(明治末期まで)、櫓など建物の移転先についての資料などの原本を、広く募るものです。

 募集期間は来年の3月29日(金)まで。情報・資料の提供後は、市役所職員による内容確認を経て専門家などによる審査が行われ、櫓の復元に資する資料と認定された後、懸賞金が支払われます(審査・認定には数年かかる予定)。

 問い合わせは、上田市教育委員会生涯学習・文化財課文化財保護担当TEL0268-23-6362。
 メール(市櫓復元推進室)yagura@city.ueda.nagano .jp

上田自由大学100年に合わせ
『民衆の自己教育としての自由大学』
長大名誉教授 長島伸一さんが上梓 研究の集大成一冊に

 

 大正10年(1921)11月1日、自律と学びを求める上田地域の青年たちは賛同する学者らの協力を得て、自ら運営する教育機関「上田自由大学」(当初は信濃自由大学)を上田市横町の神職合議所で開講しました。

 それから100年に合わせて先ごろ、長野大学名誉教授の長島伸一さん(74歳)が膨大な資料をもとに研究した労作『民衆の自己教育としての「自由大学」』(梨の木舎)を著しました。

 上田自由大学は、神川村で養蚕農家を営んでいた山越脩蔵が普通選挙法施行の直前に哲学者・土田杏村に講演を依頼する手紙を送ったことが始まりで、土田と山越、金井正、猪坂直一ら当地の青年たちが、地方の民衆が誰でも高等教育を受けられる連続講座を構想。土田のつてで恒藤恭やタカクラテル、谷川徹三ら一級の学者を招いて1930年代初めまで開講されました。また民衆によるこの自己教育運動は、県下各地や新潟・群馬・福島各県などに広まっていきました。

 長島さんは英国社会史が専門ですが、長大教授で本紙に「上田自由大学とその周辺」を連載中の1992年に急逝した松本衛士さんから渡された資料集が、自由大学研究に取り組むきっかけになったそう。05年から本格的に研究を始めて可能な限り資料に当たり、山越家から長大に寄贈された資料も読み込んで、10数年をかけ本書を上梓しました。

 本書では残された資料から各地の講義の内容と講師による記録、受講者の感想などを紹介して当時の熱気を伝え、受講した青年らがその後地域の首長や中心人物として活動していったことなどにも言及しています。

「農家を継いだ青年たちは、進学したくてもできなかった。その悔しさもモチベーションだった」「自分の足で立ち、自分の頭で考える―そのために自ら学ぶことこそ教育なのだという自由大学の精神は、地下水脈のようにこの地に流れている」と長島さん。「この本が教育をもう一度見直すきっかけになれば」と話しています。

 A5判293ページ(巻末に人名・事項索引付き)で定価3520円(税込)。お求めは近くの書店で。

本紙「私話私絵」でおなじみ
画家・米津福祐さんが

信州美術会の会長に就任
「会が絵を好きな人の拠り所になれば」

 

 二紀会参与・東信美術会参与なども務め、本紙1面連載「私話私絵」でもおなじみの画家・米津福祐さん(85歳)が先ごろ、信州美術会の会長に就任しました。

「今も描くことが心から楽しいのは、ありがたいこと」「絵は楽しくなければ続けられない」と米津さん。「会長に推されたのは青天の霹靂だったが、コロナ禍のなか名を挙げていただいたことを重く受けとめ、受けようと決めた」と話します。

 幼少のころから絵に没頭し、上田松尾高校(現上田高校)では美術班で活動。しかし卒業後に希望した美術大学進学は食堂を営んでいた父親に反対され、東京・上野の料亭に弟子入り。絵を描く余裕などない厳しい板前修業を2年間積み、帰郷後に宴会業に転じた家業を継いで、絵も再び描き始めました。「当時は大きな挫折感があったが、この経験が今では宝だと心から思える」と振り返ります。

 当初は水彩画で頭角を現しますが、油絵に転向し二紀展に出品し続け、1997年以降は郷土が生んだ江戸時代の最強力士・雷電為右衛門をテーマに制作、同会最高賞などを続けて受賞しました。また1988年の創刊時から本紙「週刊上田」1面に「私話私絵」を連載。絵と軽妙洒脱な文は多くのファンを得ています。家業と画業の二足のわらじ≠ヘ「寝る間もない日々だったが、充実し幸せな時間だった」とのこと。

「コロナ禍、ロシアによるウクライナ侵攻と、世界は大きな不安の中にあるが、今後大きく変わるのではないかと思う」。

 信州美術会は「絵を描く人、絵が好きな人の拠り所になれば」と話していました。

 

 

農民美術作家 山本鼎の会前会長
清水義博さん「お別れの会」
遺作を展示し、リコーダーや歌で偲ぶ
 
 

 一昨年4月30日に逝去した農民美術作家・清水義博さん(享年83歳)のお別れの会が上田法事センターで開かれ、県内外から生前交流のあった知人らが参列。遺作も展示され、生前所属した合唱団やシャンソン、リコーダーの会の歌や演奏で故人を偲びました。

 会は農民美術や美術家、音楽関係者、清水さんが同人だった詩誌「樹氷の会」などの有志が呼びかけ人となって準備され、会場前には清水さんが主要モチーフにした牧神と女性のレリーフや現代風「木っ端人形」(写真下)、愛用の鑿と木づち、作品が掲載された詩誌、本紙連載「昭和少年古里百景」をまとめた『やさしい風景がよみがえる時』などが展示されました。

 同会呼びかけ人代表の画家・米津福祐さんは、「20代のころから、美術家仲間として楽しい交流をさせてもらった。そのころと変わらない永遠の少年のまま彼は逝った」とあいさつし、「樹氷の会」会長の平野光子さんは、詩の表彰式に長靴のまま清水さんが現れたエピソードなどを紹介して追悼の詩を朗読。県農民美術連合会会長の徳武忠造さんが長年の交流を振り返り、「わかりやすいことは大事なことなんだ」とつぶやいた清水さんの言葉が思い出されると話しました。
 
 また山本鼎記念館勤務時代に農民美術の歴史を冊子にまとめた前澤朋美さん(信州新町美術館学芸員)は、「清水さんは本当に親身になって支えてくださった。お宅を訪れたときの楽しい時間が忘れられない」と言葉を詰まらせました。

写真上は農民美術展示会での清水さん

トルストイの三女 上田市の河合家訪問
記念の品をカワイ薬局が初公開
写真や彼女が腰かけた椅子など展示
 
 

 上田市中央2のカワイ薬局では、ロシアの文豪トルストイの娘アレクサンドラ・トルスタヤさんが、昭和の初めに同家旧宅を訪れた際の写真や記念の椅子などを店頭で初公開しました。


 河合家は上田藩の上級武士で、明治中期に現店主・河合良則さん(60歳)の曽祖父、操さんが市内大手の旧宅で薬局を創業。児童自由画や農民美術を提唱した画家の山本鼎を支援し、鼎作の肖像画(上田市立美術館蔵)も残されています。


 また欧州留学からロシアを通って帰国した鼎は、ロシア革命前年の1916年にトルストイの邸宅ヤースナヤ・ポリャーナを訪ねたことが知られています。


 アレクサンドラさんはロシア革命後の体制に反対して米国に亡命しますが、その途上の1929〜31年に日本各地を回ってキリスト教やロシア文化を紹介したと伝わります。上田を訪れた経緯は確かではありませんが、操さんがクリスチャンだったことや鼎との関係が想像されます。


 河合家では、当時撮影された写真やアレクサンドラさんが座ったという椅子(写真)を大事に保管してきましたが、公開するのは今回が初めて。


 市民有志でつくる「山本鼎の会」の橋渡しで、ロシア文学研究家らが先ごろ訪れて資料や市立美術館の絵を見学する機会もあり、河合さんは「わが家だけでなく、上田の歴史を見直すことに役立てばうれしい」。山本鼎の会会員の村山隆さん(72歳)は「鼎の足跡との関連など、今後の研究に期待したい」と話しています。


 同店は、(月)〜(金)が9・00〜18・30、(土)が9・00〜12・00開店で、(日)休業。問い合わせは河合さんTEL090-8743-2021へ。


写真下は旧宅庭でのもので、左がトルスタヤさん。

寄稿〈金子万平さんを悼む〉
自由に生き切った万平さん
「週刊上田」元編集長 深町稔
 
 

「柔らかくてしっかり書くのがコラム」と家族に話していたという金子万平さん。本紙「陽葉」欄に18年間、300編余の原稿を寄せ、真田氏など歴史関係の企画記事でも筆を振るいました。

 県内を巡り食や風習など庶民の生活を調べてその土地独特の文化を掘り起こし、文字通り柔らかく的確な文体で読者に伝えた金子さんが、3月7日に亡くなりました。享年77歳。風邪をこじらせ肺炎を患ったための急逝で、3月2日号の「陽葉」が絶筆となりました。

 1957年に上田高校に入学し文芸班に所属、生徒会誌に寄稿し演劇に傾倒しました。60年に東京大学文学部に入学、60年安保闘争の洗礼を受けます。学生たちの国会議事堂構内突入の際は、樺美智子さんが亡くなったその渦の中に金子さんもいたそうです。その後は演劇関連の活動に没頭しました。

 在学中から長野市の同人誌「やまなみ」の同人となり、東京と長野をひんぱんに往復。演劇雑誌「テアトロ」の記者として観劇と執筆で目まぐるしい日々を過ごした後、長野市へ家族とともに移住しました。

 当時地方出版の雄とされていた長野市の銀河書房を中心に、本格的な編集執筆活動に入ります。『修那羅の石仏』『なつかしの上田丸子電鉄(共著)』(以上銀河書房)、『ムラのきた道』(信毎書籍出版センター)、『信州センチメンタルジャーニー』(実業の日本社)、『信州上田城(共同執筆)』(郷土出版社)ほか、多数の出版に関わりました。

 郷土史関係の仕事も数多く手がけ、東信史学会を牽引した黒坂周平氏の厚い信頼を得て、資料調査に欠かせない研究者として多彩な書物の共同執筆者となっています。『峡間につづく』は、郷里である殿城赤坂地区の歴史をたどった貴重な大作です。

 また週刊上田新聞社刊『疾風六文銭 真田三代と信州上田(共著)』は4万部を超えるロングセラーとなり、当地の文化発信に大きく貢献しました。

 お金や地位にはこだわらない生き方を貫いた金子さんでした。何ものにも縛られることなく、持ち前の天分を「編集者・書き手」として縦横無尽に発揮し尽くした生涯と言えるのではないでしょうか。

小宮山量平さん遺作(こぶし書房刊)
『映画は《私の大学》でした』
生涯とともにあった映画 その歩みを情熱こめ綴る

 

 2012年4月に95歳で逝った理論社創業者で作家の小宮山量平さんが、06年から3年にわたって雑誌に連載した映画に関するエッセイを収めた一冊。映画史とともに歩き、90歳を超えてもなお映画館に通った著者の、映画に寄せる思いが深い考察とともに記されています。

〈映画の始まりは喜劇〉として、チャップリンの無声映画から「モダンタイムス」「ライムライト」など不朽の名作と戦争の時代を重ね合わせて書き起こし、エイゼンシュテインの「戦艦ポチョムキン」とモンタージュ理論など映画芸術の発展期にも言及。

〈映画が音を得た喜び〉では「巴里の屋根の下」やその美貌に憧れたマレーネ・デートリッヒ、著者生涯の愛唱歌を歌ったエノケンにふれ、〈映画が色を得た悲哀〉〈同時代人意識の形成〉〈映画を支える観客席〉などの章を立て、黄金期の名作の数々から山田洋次監督の近作までを語っています。

 タイトルはロシアの文豪マクシム・ゴーリキーの『私の大学』に由来。現在の巨大化した大学教育を批判し、上田自由大学に共鳴して来田した羽仁五郎の言葉「そこに君たちが瞳を輝かせて集まるならば、それが大学なんだよ」を紹介して、―わが祖国の若者たちの心に、ほんものの「若い芸術」をよみがえらせる沃野が開かれているとすれば、未だなお未完成の映画芸術の世界ではないでしょうか―と記しています。

 B6判・206ページ。定価2310円(税込)

 

 

『復刻 青木時報』全3巻
青木時報復刻版刊行委員会・発行

 

「吾々は、自己の生活をよりよくするために先づ最も近い社会生活の団体としての村を愛さねばならない、理解せねばならない、理解するためには知る事である、理解せしめるためには知らせる事である…」。

 大正10年5月、自由律の旗手とうたわれた俳人・栗林一石路(農夫)を初代編集長に、前記の創刊の辞をもって「青木時報」は産声をあげました。

 青木村青年会によって編集がなされ、各種団体の報道や村民の声、時事の報道批判などを掲載。理想に燃えて真実に生きる姿を刻明に伝えた「時報」は、戦時下を除き昭和36年まで392号を刊行、村民に親しまれました。

 農事のことや家庭のこと、事故や慶弔ニュース、村の歴史や伝説の紹介、青年たちの人生相談など、紙面は実に多岐にわたります。

 このほど青木村誕生120年を記念して、青木時報復刻版刊行委員会により読みやすくB4判に拡大して、そのすべてが復刻されました。今回の復刻にあたり上田小県近現代史研究会会長の小平千文さんは「今日の青木村を特徴づける村民の息吹の数々が、『青木時報』には生き証人の如く詰め込まれています。まさに歴史的な記録文化財史料であり、村宝です」と、一文をよせています。

 B4判・全3巻。定価はセットで28500円。430セットの限定出版です。本書のお求めは、平林堂書店でどうぞ。

 

 

週刊上田新聞社社刊・真田ファン必携
『疾風六文銭 真田三代と信州上田』
戦国ブームにのって再燃! b第3刷完成b

 
   大阪城と上田城の姉妹城郭提携1周年を記念し、07年夏に小社が刊行した『疾風六文銭 真田三代と信州上田』が好評で、2刷を完売。急遽増刷した3刷がこのほど出来上がり、書店や各施設に配本中です。


 本書は、真田三代の活躍と伝承、史跡や観光をビジュアルに紹介。近ごろは高まる戦国ブームや、NHK大河ドラマ「天地人」での幸村登場、信濃毎日新聞の新連載「真田三代」などの影響もあり、再び人気を集めています。


 贈り物や取引き先へのお遣い物としても利用いただいているようです。

 A5判・オールカラー128ページで、定価840円(税込)。

 問い合わせは、週刊上田新聞社TEL0268-22-6200まで。
 

 

小宮山量平さん1000号特別寄稿
「ふるさとの中のふるさと」

 
 


 出版界の重鎮・小宮山量平さん(92歳)の長期連載「昭和時代落穂拾い」(90年〜)は週刊上田の歴史のエポックでした。小宮山さんが1000号を記念し、寄稿してくださいました。


 70代の半ばを越えたころ、無性にふるさとがなつかしく、帰心矢の如く還ってきました。改めてわがふるさとに再会してみれば、格別に名のある峻嶮に囲まれているわけでもなく、幽谷の眺めに恵まれているわけでもありません。小さな盆地の真んまん中を千曲川がつらぬき、その流れに沿って何枚かの水田が拓け、それに続く段々畑が山裾に迫った辺りには、各集落毎の神社の杜が、四季の訪れを物語るたたずまいがつづくばかりです。

 まぎれもなく、この地こそは凡中の凡、ふるさとの中のふるさとなのだと、改めて実感しました。小さな塾めいたグループを作ったときも、迷うことなくその名は「太郎山塾」と決まりました。平凡と言って、これほど平凡な山の姿は、めったにあるものではありません。事実、この山のてっぺんまでは、わが家の庭並に親しんで育ちました。

 信州人と言えば俊敏であり、弁舌もさわやかで目はしの利くといった先入観で考えられがちですが、後に、世界各国を巡って、秀れた都市美や風景に触れるのにつれて、わが上田市の平凡な立地条件こそが、今や世界に冠たる平凡さの魅力を誇るものだ、と、思うようになりました。ちょうどひと足先に上田へ帰っていた深町稔前編集長が、そのふるさとの平凡さをコラムに書き留めてはくれまいか、と、要望されたものです。私の週刊上田とのつきあいは、そんなふるさと讃歌を結晶させることから始まりました。その結晶の第一冊が『昭和時代落穂拾い』として親しまれているのです。

 あれから日が経つのにつれて、日本の文章道は乱れに乱れ、退廃を極めつつあります、が、あれを読んで下さった人びとから、あいさつを受けるたびに、ふるさとの活力を育んだミニコミ紙の力を想起するのです。
 

 

週刊上田新聞社から刊行
『疾風六文銭 真田三代と信州上田』
巻頭文/童門冬二 解説/寺島隆史・金子万平  定価840円(税込)
 
 

 六文銭の旗じるしのもと、戦乱の世を疾風のごとく駆けぬけた真田一族。幸隆をはじめ昌幸、その子信幸、幸村の三代にスポットをあてたガイドブックが、このほど小社から発刊されました(協力/上田市)。

 大坂の陣での幸村の活躍は、その後多くの伝説を生み、大阪をはじめ全国に真田ファンを増やしました。昨年、その大阪城と上田城が友好城郭提携を結び、これを機会に本書が企画され、満を持して出版されることとなったものです。

 巻頭エッセイは、上田市観光大使でもある作家の童門冬二さんが「よみがえる真田スピリット」を。また「戦国信濃の華 真田」として市立博物館館長の寺島隆史さんが真田三代のあらましを解説しています。

 本編では、「真田氏発祥の地」「幸隆の登場」「風林火山の時代」「自立する昌幸」「上田城攻防戦」と続き、「幸村、大坂城で奮戦」へ。「十勇士伝説」をはさんで「信之、武門の誇りを伝える」と8つの章で構成。解説は、東信史学会会員で真田氏関係の著書も多い作家の金子万平さんと、前出の寺島隆史さんが担当しています。

 ところどころには、専門家によるコラムも。生島足島神社に奉納された武田信玄の起請文(きしょうもん)を取り上げたページには、カラーで本邦初公開となる「龍丸印」の写真を掲載。
歴史研究家でなくても興味しんしんの資料が並びます。

 本書は、全編とおして写真が豊富。古図やそれぞれが所用したとされる武具、直筆の書状も掲載しています。戦乱の世を生きた4人の心情を垣間見るような品々に出合ったならば、郷土の英傑・真田氏がもっと身近に感じられることでしょう。

 NHKで放映中の「風林火山」には、幸隆が登場中。まさにその時代を、本書で見ることができます。

 また真田氏発祥の地や、上田市街、塩田平などを紹介する観光ガイドも充実。当地の歴史や文化、自然を改めて知るきっかけとなりそう。「まるごと真田」をお楽しみください。

 A5判・オールカラー・128ページ。定価840円(税込)です。
 お求めは書店他で。

第2刷 刊行! 小宮山量平・著
『地には豊かな種子を』
発売/エディターズミュージアム

 
   教えるとは希望を語ること、学ぶとは誠実を胸に刻むこと――(本書より)。

 昨年出版された小宮山量平さんの著書『地には豊かな種子を』が、各方面で話題となっています。

 創作児童文学のパイオニアであり、戦後の出版界をかたちづくってきたひとり小宮山さんが発するメッセージに共感や感銘の声が寄せられ、全国各地にその輪が広がりつつあるようです。

 発売元のエディターズミュージアムには、すでに注文が数多く届けられていましたが品切れ状態に。ようやく第2刷が完成する運びとなりました。

 地方小出版流通センター扱いで、全国のどの書店でも入手できるとのことです。定価2000円(税込)。

▼エディターズミュージアム TEL0268-25-0826
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 
 
 
 
 

 

 
 
 

 

 
 
 

 

 
 
 
 
 
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