今春、ニューオータニ美術館で相撲錦絵展があった。同館は時々相撲絵を展示するので、その都度“雷電為右衛門”に会いに行く。といっても錦絵の、だが。陳列に化政期、超人気絵師だった豊国の描く大関猪王山森右衛門の堂々たる立姿図がある。この頃江戸はウグイスが珍重され流行っていた。
仙台藩お抱え力士達ヶ関(後の猪王山) は、ウグイスと交換で、因幡藩のお抱えとなった。魁偉な大男が、鶯と引き換えに因州力士となったのである。
殿様の気まぐれ、昔の事だが釈然としない気分で、解説文を読んだ。さて10月は連日時津風部屋の若い力士急死事件が報じられた。
制裁目的の暴行で親方は解雇。更に協会トップの運営能力が問われ、週刊誌では、他の部屋のリンチ事件等、悪い話題はつきない。
私は相撲の旧弊が好きだ。よりアナログっぽいところが、逆にオシャレで格好がいいと思っていた。時流に流されず、抵抗する野暮とも言える生き方が、厳しい勝負の緊張と相俟って、日本の粋がみえる気がしていた。ビール瓶、金属バットで殴る愚行の現実を知り、相撲の粋は私の幻想だと気づいた。
粋は姿、格好ではない。精神、心の表出だ。ただのデカ腹キン肉脂肪集団では、日本国技の権威は支えられない。
|